Sinopsis
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Episodios
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暮らしの基本--2016/11/3
03/11/2016 Duración: 01min暮らしの基本--2016/11/3おはよう投げたボールは、投げたように自分に返ってきます。乱暴に投げれば、乱暴に返ってきますし、やさしく投げればやさしく返ってきます。今日はどんなボールを投げましょうか。今日もていねいに。こんにちは今日会う人は、みな自分に何かを教えてくれる先生と思って接しましょう。そういう気持ちでいれば、何かひとつかふたつは、必ずためになることに気がつくでしょう。いい一日を。おやすみなさい自分を傷つけることなく、人のことも傷つけることのない言葉を使うことが大切です。感情的になっても、丸くやわらかな言葉を使うよう心がけましょう。おやすみなさい。
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松浦弥太郎《日々の100》——005
11/08/2016 Duración: 02min《日々の100》松浦弥太郎005 村上開新堂のクッキー「いつもは家族の誰にもあげないのだけれど、今日は特別に君にあげよう。さあ、どうぞお食べになって」下戸(げこ)の僕に気遣って、宴たけなわの頃、家の主(あるじ)はピンク色をした箱をうやうやしく開けた。中を覗く(のぞく)と、クッキーは、ほんのわずかしか残っていなかった。「美味しいのを最後にとっておいているんだ。残っているのは美味しいのばかりだぞ」「全部食べたら一生言われるわよ。俺の大切なクッキーを残さず食べたってね。いつもは絶対、誰にもあげないのに」主の奥方(おくがた)は、面白がって笑いころげた。パステルグリーン色をした、どんぐりの帽子よりも小さなメレンゲをつまんで口に放る(ほうる)と、抹茶のほのかな苦味(にがみ)が口に溶けて、幸せな気持ちになった。「僕は、僕の好きなものを君に全部教えたいんだ」そう言うって主は、言葉で僕を酔わせた。僕にとって、村上開新堂(むらかみ かいしんど)の詰め合わせクッキーは、特別なごちそうだ。亡き祖父の大好物(だいこうぶつ)だったからだ。二十七種類もの宝石が詰め込まれた、およそ一万円するクッキー缶。祖父から食べさせてもらったことは二度しかなかった。その日、主の顔が祖父に見えて仕方なかった。クッキーをかじるとカリッと音がした。
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坂本真绫欧洲游记——From Every Where 4-1
07/08/2016 Duración: 04min【4日目】-1たった3日間しかいなかったのにパリに愛着が湧きすぎてものすごく名残惜しい。1カ月後にまた戻って来る予定だけど、もしチェッコに行ってみてつまらなければすぐに引き返して、そのままずっと最後までパリに居てもいいかもしれないとすら思うほどに、この街が好きになっていた。朝8時、ホテルをチェックアウトして、ずっと行ってみたかった向かいのパン屋さんでできたてアツアツのパン オ ショコラを買ってから空港へ。 平日の朝のメトロはラッシュアワーで大混雑していた。私が大荷物を抱えながら乗り換えのホームを探してウロウロしていたものだから、先を急ぐビジネスマンたちからは少し迷惑そうな視線を浴びた。東京のラッシュだってかなりの人の多さだけど、パリでは背の高い人ばかりに囲まれて余計に圧迫感がある。お財布をすられないように、駅を乗り過ごさないようにと、ずっと警戒していたせいも、たぶんある。私はまた、突然あのイヤな感じに襲われて、たまらず電車を途中で降りてしまった。この、イヤな感じ、というのは。いつからか、混雑する電車や駅と駅の間隔(かんかく)が長い急行電車などに乗ったときに私に起こるようになったもの。突然スイッチが入ったように自分でもどうしようもない不安感が止めどなく湧いてきて、息苦しくなって、とにかくその場に居られない、一刻も早く逃げ出したいという気持ちに駆けられてしまう。もしまた同じことが起きたらと思うと怖くて、もう何ヵ月も電車に乗るのを避けていた。だんだん人の多いところも嫌いになって、外に出るのも億劫(おっくう)になってきて……。一体どうしたんだろう私は。克服したい。負けたくない。負けてたまるか。でも、誰にも言えなかった。普段の生活の中ではきっかけが掴めないけど、もしかして外国まで行って本当にひとりきり、誰も知らないところでなら……。余計なことを考える暇もないような非日常の世界に飛び込んでしまえば、むりやりにでも自分のペースを取り戻せるかもしれない。私にとってはこの旅で、ただ電車に乗って移動するということ。外へ出て好きな場所を好きなだけ歩くということが実はとても勇気のいる、最大の課題(かだい)だったのだ。
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日本の昔话17——いなばの白ウサギ
03/08/2016 Duración: 02minいなばの白ウサギむかしむかし、隠岐(おき→島根県)の島という小さな島に、一匹の白ウサギが住んでいました。 ウサギは毎日浜辺に出ては、海の向こうに見える大きな陸地に行きたいと思っていました。 ある日の事、良い事を思いついた白ウサギは、海のサメに言いました。 「サメくん、ぼくの仲間と君の仲間と、どちらが多いか比べっこをしよう。君たちは向こう岸まで海の上を並んでくれ。ぼくはその上を数えながら飛んでいくから」 「いいよ」 お人好しのサメは、白ウサギの言う通りに向こう岸まで並びました。 「じゃあ、始めるよ。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・」 白ウサギはサメの上をジャンプしながら、向こう岸まで渡りました。 「やーい、だまされたな。比べっこなんてうそだよ。お人好しのサメくん。ぼくはこっちに渡りたかっただけなのさ」 それを聞いたサメは怒ってウサギをつかまえると、ウサギの皮をはいでしまいました。 「うぇーん、痛いよ!」 皮をはがされたウサギが泣いていると、若い神さまたちがそこを通りかかり、 「海水をあびて、太陽と風にあたるといいよ」と、言いました。 ウサギが教えられた通り海水をあびると、ますます痛くなりました。 そして太陽と風に当てると、さらにもっと痛くなりました。 そこへ、大荷物を持った神さまがやってきました。 その神さまは、意地悪な兄さんたちに荷物を全部持たされていたので、遅れてやってきたのです。 「かわいそうに、まず池に入って、体の塩気を良く洗うんだ。それから、がまの穂(ほ)をほぐしてその上に寝転がればいいよ」 ウサギがその通りにすると、やがて痛みも消えて、全身に元どおりの毛が生えてきました。 この心やさしい神さまは、のちにオオクニヌシノミコトと呼ばれ、人々にうやまわれたそうです。おしまい
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松浦弥太郎《日々の100》——004
01/08/2016 Duración: 04min《日々の100》松浦弥太郎004 エンリーべグリンの財布二年に一度、財布を新調(しんちょう)している。二十代半ば(なかば)の頃、十歳以上年上の人達ばかりとつきあっていて、「財布はいいものを持たないといけない」と口うるさく言われた。すでに世に出て、何かしらの仕事を成した大人たちの言葉は重かった。「そんなよれよれの財布には、いつまでたってもお金は入ってこないぞ」こうまで言われると、どれほど愛着(あいちゃく)ある財布であっても替えたくなった。僕の唯一の取り柄(とりえ)は素直さだ。どんな財布がいいのか、と訊くと、シンプルで、大きくて、上質で、しっかりとしていて、一歩下がったところから眺めて(ながめて)きれいと思うものがいい、と教えてくれた。そして、いつも手入れをしなさい、とも。財布の中身は、いつも整理整頓(せいりせいとん)しておくこと。カード類は最低限にすること。革製(かわせい)なら週に一度は磨くこと。パンツの後ろポケットなどに入れたまま座ったりしないこと(これはお金を尻に敷く(しく)ことになるから絶対駄目だと言われた)。お札の向きは必ず揃えること。できれば小銭(こぜに)入れを別に持つこと。一つの財布を二年以上使わないこと。その人は僕と膝(ひざ)を突き合わせながら話してくれた。最後に、これこそお金に不自由しない秘訣(ひけつ)だ、とつぶやいた。ここ数年、イタリアのレザーブランド、エンリーべグリンの財布を愛用している。財布の教えはずっと守っている。秘訣は正しい。
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坂本真绫欧洲游记——From Every Where 3-2
01/08/2016 Duración: 05minご安心ください。旅の始まりは快調です。私はパリを楽しんでいます。昨日まではどうしてもクセで「サンキュー」「ハロー」と英語で挨拶していたけど「メルシー」「ボンジュール」が板についてきたし。こんな短い時間の間にも人って少しずつ、しかし確実に環境に順応(じゅんおう)していくものなんですね。メトロのドアに、歩き食い……私からの最初の手紙がこんなばかばかしい報告であなたは拍子(ひょうし)抜けしたかもしれません。凱旋門とか、ルーブル美術館とか、ヴェルサイユ宮殿の話を待っていたかしら。初めてパリに来たというのに私はまだ観光地らしいスポットにはほとんど足を運んでいないんです。かろうじてエッフェル塔の足もとまでは行ってみたものの、エレベーターが何基か故障中らしくてふもとには展望台へ行く人たちの行列がとぐろを巻いっていたので上へはのぼらなかったし。他人から見たら「せっかくパリまで行ってなぜそんなもったいないことを!」って言われちゃうのかも。けれど取るに足りない小さな出来事をひとつひとつ噛み締めながら積み重ねたこの3日間は、私にとってはとても濃厚で、良い時間でした。 最後にもうひとつ。たわいもない。けれど私にとっては驚くべき事件がありました。今日帰り道で突然雨が降り出して、傘も無いし、雨脚(あまあし)はどんどん強くなるし、ひとまずお肉屋さんの軒先(のきさき)に避難してしばらく雨宿り(あまやどり)させてもらうことにしたんです。なかなか降り止まなくて、空を見上げて……気がついたらそのまま30分も経(た)っていました。この私が、たかが雨のために足を止めるというだけでも驚きなのに、30分もじっとしているなんてありえないことです。もっと驚いたのは、その交差点のあっちこっちには私と同じように店先で雨宿りする人たちがたくさんいて、その誰もが動こうとしないこと。あの人たちはいつもああしているのだろうか。ねえ、雨宿りなんて、あなたは最近いつしましたか?いつ終わるかもわからないものが通り過ぎるまで、あらがわず、求めず、ひたすら待っているなんて、なんて豊かなことだろうとひそかに感動しました。雨宿りとはなんて穏やかで、平和な光景でしょう。私が旅に出ると言ったときちょっぴり批判めいた口調で「贅沢だね」と言った人たちに、この最上級の贅沢を見せてあげたかったです。明日の朝の便で2つめの目的地に向かいます。せっかく呼吸が合ってきた気がするのに、パリとお別れ
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日本の昔话16——おだんごコロコロ
25/07/2016 Duración: 04minおだんごコロコロむかしむかし、おだんごを作るのが、とても上手なおばあさんがいました。 ある日の事、おばあさんがおだんごを作っていると、そのうちの一つが、コロコロコロと、転がり落ちて、外へ行ってしまいました。 「これこれ、おだんごよ、待ってくれ」 おだんごは、コロコロコロコロ転がって、道ばたの穴にストンと落ちました。 追っかけてきたおばあさんも、続いて穴の中にストンと落ちてしまいました。 穴の中は広い原っぱで、石のお地蔵さまが、たいくつそうに立っています。 「お地蔵さま、わたしのおだんごが、来なかったかの?」 「きた、きた。わしの前を通って、向こうの方へ、コロコロコロ」 「ありがとよ」 おばあさんが少し行くと、また、お地蔵さまが立っていました。 「そのおだんごなら、向こうの方へ、コロコロコロ」 おばあさんは教えられた通りに行くと、またお地蔵さまです。 「ああ、あのおだんごは食べたよ。とってもおいしかった。ごちそうさん」 「おんやまあ。お地蔵さまが食ベたのなら、まんず、よかんべ」 そのとき、ドスンドスンと、大きな足音が近づいてきました。 「おばあさんや、大変じゃ! 鬼どもが来るぞ! はよう、わしの後ろに隠れるがいい」 「ヘいへい、ありがとうさんで」 おばあさんは、お地蔵さまの後ろに隠れました。 やがて赤鬼と青鬼がやってきて、鼻をピクピク動かします。 「ふんふん、くさいぞ、人間くさい。・・・そこにいるな!」 おばあさんは、すぐにつかまってしまいました。 おばあさんを屋敷へ連れて帰った鬼が、しゃもじを一つ渡して言います。 「米粒を一つ、カマに入れて、水をいっぱいにしてたくんだ。煮えたら、このしゃもじでグルリとかき回す」 言われた通りにすると、お米はムクムクとふえて、まっ白なごはんがカマいっぱいになりました。 「あれまあ。なんて不思議な、しゃもじじゃろう」 おばあさんは毎日、せっせとごはんをたきました。 でも、家に帰りたくてしかたがありません。 そこである日、鬼どもが山ヘ遊びにいっているすきに、不思議なしゃもじを持って逃げ出しました。 まもなく、おばあさんの行くてに、大きな川が現れました。 けれども、都合のいい事に、舟が一そうつないであります。 おばあさんの乗った舟が、川のまん中あたりまでいったとき、鬼どもが岸まで追いかけてきました。 「おいみんな、水を飲んで舟を止めよう」 鬼どもは岸
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松浦弥太郎《日々の100》——003
17/07/2016 Duración: 02min《日々の100》 松浦弥太郎003 ネイティブアメリカンのお守り基本的にアクセサリーは好まない〔このまない)。指輪やネックレスをしている男を見ると、男のくせに、と眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せたりする。昔から身を飾るという行為にどうも抵抗があるのは、心のどこかで、簡素(かんそ)で美しい禅僧(ぜんそう)の容姿(ようし)に憧れているからかもしれない。はじめて身につけたアクセサリーは、ニューメキシコの旅でネイティブアメリカンのおじさんにもらったターコイズの指輪だ。別れるときにお守りにしろと言って手渡された。お守りか……。そう思ったら、つけてみても良い気になった。大きくて青々としたターコイズの指輪なので、それを見た大抵(たいてい)の人は目を大きく見開く(みひらく)。「お守りなんです」それは何ですか?と訊かれる前に、こう言って照れを誤魔化す(ごまかす)。身につけているとネイティブアメリカンの祈りに守られている心地がして、満更(まんざら)でなくなった。しかし自分の中では、あくまでもお守りであってアクセサリーではない。アメリカの旅に出かけると、無意識にお守り探しをしている自分がいる。四〇年代に作られた手の込んだもの。いろいろある部族(ぶぞく)の中でも意匠(いしょう)が細かい(こまかい)ズニ族のお守りが好きだ。今では意外とうるさい自分がいる。旅の途中、他人から服装はほめられないが、お守りはいつもほめられる。誰かにほめられたくて旅に出てるのかと思うときさえある。
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坂本真绫欧洲游记——From Every Where 3-1
15/07/2016 Duración: 02min【3日目】-1日本を発って早くも3日が過ぎました。ここは最初の目的地、パリです。 思ったよりも寒くて、今日たまらず上着を買ってしまいました。グレーのジャケット。さっそく荷物を増やすことになってしまったけど、これで少しは家出少女みたいな惨めな格好もごまかせるかも。私が持ってきた服はどれも、手洗いができてシワにならなくてかさばらないことにばかり気を取られていたものだから、オシャレにはほど遠いんです。パリの女の子たちはみんなモデルさんみたいに綺麗で、その中にいると余計に残念さが際立ちます。いくら実用性重視と言ったってもう少しアジアンビューティーをアピールできそうな洋服を選んでおけば素敵な出会いのひとつもあったかもしれないのにね。 でも今日、買ったばかりの服を着て外へ出たらそれだけで昨日よりもちょっとだけ自分らしくパリの街に立っていられる気がしました。いいえ、服のせいだけじゃないのかも。瑣細(ささい)な事だけど、昨日よりも色んなことが上手にできるようになっている自分がいるんです。たとえばメトロのドアの開閉ボタン、今日初めて自分で押せた、とか。「子どもかよ!」というあなたの声が聞こえてきそうですね。でも笑っちゃうけどこんなことでも今の私にはすごい達成感。ちなみに地元の人たちは、ちゃんと停車するまで待ちきれずまだ電車が動いているうちから扉を開けてしまうんですよ。私も真似してみたいのだけどまだそこまでの度胸はなし。その代わり、“サンドイッチ歩き食い”は真似してみました。 やってみると実に気持ちがいい。マヨネーズがこぼれて服を汚さないように注意が必要ですけどね。これはパリではマナー違反ではありません。だって本当に多いんです、老若男女オールウェイズ歩き食い。郷に入っては郷に従え。実際、レストランに入るよりテイクアウトして外のベンチで食べたほうがひとり旅の私には気楽です。
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日本の昔话15——鏡の中の親父
13/07/2016 Duración: 03minむかしむかし、田舎(いなか)では、カガミという物をほとんど知らなかったころの話です。 ある若夫婦が、夫の父親と三人で仲良くくらしていました。 ところがある日の事、父親は急な病で死んでしまったのです。 大好きな父親に死なれた息子は、毎日毎日、涙にくれていました。 さて、ある日の事、その息子は気ばらしにと、江戸の町へ出かけました。 そして町中をぶらぶらと歩いていると、店先においてあったカガミがピカリと光ります。 「おや? 今のは何だろう?」 不思議に思った息子は、ピカッと光ったカガミをのぞいてみてびっくり。 「死んだ親父に、こんなところで会えるとは!」 カガミにうつった自分の顔を父親と勘違いした息子は、なけなしのお金をはたいて、そのカガミを買いました。 そしてそれを大事にしまうと、ひまさえあればのぞき込んでいました。 そんな夫の行動を不思議に思った女房は、夫が昼寝(ひるね)をしているすきに、隠してあるカガミをこっそりのぞきこみました。 するとカガミの中には、とうぜん、女房の顔がうつります。 しかしそれを見た女房は、血相(けっそう)を変えて怒りました。 「なんとまあ! こんなところにおなごをかくしておるとは、それもあんなブサイクなおなごを!」 腹を立てた女房は、 ガシャーン! と、大切なカガミをこわしてしまいました。 「さあ、ブサイク女。よくもあたしからあの人をうばいやがって、はやく出てこい!」 女房はこわれたカガミをひっくり返してみましたが、もちろん、だれも出てはきません。 「ちくしょう。逃げたな!」 女房は気持ちよさそうに昼寝をしていた夫をたたき起こすと、こわい顔でいいました。 「あんた! わたしにだまって、あんな所へおなごをかくしておるとは、どういうこと!」 「はあ? おなご? なにを一体・・・、ああっ! なんという事をしてくれた。あれにはわしの親父が入っておったのに!」 「うそおっしゃい。ブサイクなおなごじゃったよ」 「なにをいう。わしの親父だ!」 そんなわけで、夫婦の大げんかが始まりました。 ちょうどそこへ、村一番の物知りの庄屋(しょうや)さんが近くを通りかかりました。 「まあまあ、なにをけんかしておる。落ち着いて、わしに事情を話してみろ」 そして二人の話を聞いた庄屋さんは、腹を抱えて大笑いです。 「あははははっ。何じゃ、そんな事か。それはな、カガミといって、自分の姿がう
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松浦弥太郎《日々の100》——002
10/07/2016 Duración: 02min《日々の100》 松浦弥太郎002 ヒノキの漆椀(うるしわん)と匙(さじ)カリフォルニア州東部のシエラ・ネバダ山脈を貫く(つらぬく)ジョン・ミューア・トレイルを歩いた。ジョン・ミューア・トレイルとは、シエラ・ネバダの大自然を歩き、その美しさに魅された人、ジョン・ミューア(1838-1914年)の自然保護思想と、国立公園の父としての偉業〔いぎょう)を記念してつくられた、およそ三百四十キロにおよぶ登山道〔とざんどう)である。標高四千メートル級の山岳地(さんがくち)を縦走(じゅうそう)するアメリカを代表するトレイルのひとつだ。トレッキングの行程(こうてい)は四泊五日(よんぱくいつか)。キャンプで自炊(じすい)するために、テント、シュラフ、着替え、食料といった二十キロ近い生活道具をバックパックに詰めて、一日に最低十五キロを歩いた。山歩きやキャンプは得意ではない。得意ではないから不安が募った(つのった)。何かお守りになるような道具を持って行きたいと思った。軽くて、壊れにくく、手仕事の暖かさがあり、美しさがあり、毎日使うものと悩んだ末、漆塗りの椀と匙を選んだ。漆椀の木地(きじ)は、元来(がんらい)ヒノキで作られるのが上等であるが、ヒノキで作れる職人が少なく、現在はほとんどの漆椀がケヤキを材料にしている。そうと知ると、ヒノキの漆椀と匙が無性にほしくなった。探し回ったところ、漆椀は佐川泰正(さがわやすまさ)さん作、匙は箱瀬淳一(はこせじゅんいち)さん作と、漆塗職人であるふたりを知った。僕はヒノキの漆椀と匙を持って山へと出発した。
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坂本真绫欧洲游记——From Every Where 2-8
07/07/2016 Duración: 03min【2日目】-8「真綾さんは、会社とか、そんなに長くお休み取れたんですか?」 「そうですね、まあなんというか自由業なので、ある程度は融通がきくというか……」 「この後、どこへ行くんですか?」 「次は明後日の朝チェッコへ行くことだけは決まってて。そこから先はノリで。最後はポルトガルまで。」 「ポルトガル!って、どこ?」 「あはは、そうだよね。私もこの前まで知らなかった」 この先、こうして誰かとテーブルを共にすることが、あと何回くらいあるのだろう。夜の9時過ぎ、外がようやく暗くなり始めたのを見て席を立った。ヨーロッパは今、日がとても長い。 「気をつけて旅を続けてくださいね」 「帰国したらお店にケーキ買いに行くね」 ルーブル美術館の前の広場で一緒に写真を撮って、お互い反対方面行きのメトロに乗るため向かいのホームで手を振り合い別れた。うん、良い夜だった。メグミさんがいてくれたおかげで、長い長い一人きりの旅がゆるやかに、そーっと始まって、寂(さみ)しさを感じずにすんだ。彼女のこれから始まる新生活が素敵なものでありますように。と、心から思った。夜のメトロは人が少なくてちょっぴり表情が違う。しっかり気を抜かないでホテルまで帰らなくちゃと思っていたら、どうも見覚えのない駅名が続く。 慌てて路線図を確認すると、どうやら逆方面に間違えて乗っているらしい!うわー、てことはメグミさんも!?悪いことしてしまったなあ……昨日からたった2日間の間に、私ったらいったい何回道や路線を間違えているかわからない。こんなに注意深くしているつもりなのに、ほんと方向音痴なんだよなあ。先が思いやられる。 ホテルに戻ったのは夜の11時前。この旅のルールその2、暗くなってからはひとりで外を出歩かない。を、いきなり破った。反省。これが最初で最後。
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日本の昔话14——じっと見つめていました
05/07/2016 Duración: 02minむかしむかし、きっちょむさんと言う、とてもゆかいな人がいました。 そのきっちょむさんが、まだ子どもの頃のお話です。 ある秋のこと。 家の人はみんな仕事に出かけるので、きっちょむさんがひとりで留守番をすることになりました。 出かける前に、お父さんが言いました。 「きっちょむや、カキがもう食べられる。あした木から落とすから、今日は気をつけて見ていてくれ」 「はい。ちゃんと見ています」 きっちょむさんは、元気な声で返事をしました。 でも、食べられるカキがいっぱいあるのに、だまって見ているきっちょむさんではありません。 お父さんたちの姿が見えなくなると、さっそく村の中を走り回りました。 「おーい、うちのカキがもう食べられるぞ。みんな食べに来い」 これを聞いた村の子どもたちは、大喜びできっちょむさんの家にやってきました。 そして、長い棒でカキを落とすと、みんなでお腹いっぱい食べてしまったのです。 さて、夕方になってお父さんが家に戻ってくると、きっちょむさんは柿の木の下にすわっていました。 「おまえ、一日中、そうやっていたのか?」 「はい。だって、気をつけて見ていろと言うから、ジッと柿の木を見ていたんです」 「そうか。えらいぞ」 感心したお父さんが、ふと、柿の木を見上げてみると、カキの実がずいぶんとへっています。 「おや? カキの実がずいぶんへっているな。これは、誰かが取っていったに違いない。おい、きっちょむ、これはどうしたことだ?」 するときっちょむさんは、へいきな顔で言いました。 「はい、村の子どもたちが次々と来て、棒を使ってカキの実をもいでいきました。私は言われたとおり、気をつけて見ていたからまちがいありません」 「とほほ。・・・カキ泥棒が来ないよう、気をつけて見ていろと言ったのに」 お父さんはそう言って、ガックリと肩を落としました。おしまい
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松浦弥太郎《日々の100》——001
04/07/2016 Duración: 02min《日々の100》松浦弥太郎 001 レシピカードボックスと5x3カード 無くてはならない日用品のひとつに、5x3(インチ)カードがある。 トランプのカードのような硬さがあるメモ用紙だ。5x3カードは、アメリカでは誰もが日常的に使っているが、日本で使っている人を見ることはない。こんなに便利なのに、なぜ誰も使わないのだろう。 たとえば使い方はこうだ。今日一日の予定、もしくはやるべきこと、忘れてはいけないことを、朝一番にこのカードに書いておいてポケットに入れておく。カードだから、折れたり、くしゃくしゃになったりはしない。仕事をしながらそれを確認し、終わったことからペンでチャックしていく。そしてまた、打ち合わせなどがあればノートではなく、このカードに必要事項を記入し、一枚で足りなければ二枚、三枚と書き足して、クリップやホッチキスでまとめておく。要するに、用件やプロジェクトを、ノートではなくこのカードに書き残していく。ノートに書いても、必要なときに書いた場所が見つけられなくて困ることがある。書いたカードは、丁度よく収まるレシピカードボックスに入れて、インデックスによって分類しておくと必要なときにすぐに見つけられて便利だ。 僕は「idea」 「reminder」 「project」 「a day」 「word」 「etc」に分けてカードを管理している。 5x3カードとスケジュール帳のみで、僕の仕事は充分足りている。
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坂本真绫欧洲游记——From Every Where 2-7
01/07/2016 Duración: 02min【2日目】-7それは我ながらすごく意外なことだった。だって普段なら、自分のペースを乱されることをとても嫌うのに。たとえ5分でも無意味な時間を過ごすことが許せなくて、だからいつもじっとしていられない。2つ以上のことを同時に進めていて当たり前。そんなせっかちな私が今は、来るかどうかもはっきり分からない人を、ただ待っている。それ以外にすることが何もない。だけど不思議と無意味だとは思えない。いや、とっても無意味だなあーと思っているのかもしれない。どちらにせよ、良い気分だ。 「ごめんなさーい!!」メグミさんが来たのは7時半を過ぎてからだった。 「キッチン用品とかを夢中で見て歩いてたらいつのまにかすごく遠くまで行ってしまってたみたいで、電話もなぜか繋がらなくて……!」申し訳なさそうに息を切らせて説明する彼女を、とっても愛らしいなと思った。 「ぜーんぜん。なんかボーッとしてたら気持ちよかったー」待っていた時間は、今こうして彼女が来てくれたことより、一層素敵なものになった。 「こっちのお菓子作りの道具ってすごくカワイイのがいっぱいあるんですよ。日本で買えるものもあるけど、こっちで買ったほうが断然安いんですよね」 両手にたくさん袋を抱えてる。そっか、明後日の朝にはもう日本へ帰るんだもんね。まだ始まったばかりで先が長い私とは時間の捉え方が違う。私なんか今日、ほとんどぶらぶらしてただけで何もしていないもの。 カフェのテラス席で夕食を食べた。彼女は26歳。歳よりも大人っぽく見えたのはきっと日々自分の腕を磨くことに向き合てきた、職人さんというお仕事のせいだろう。
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日本の昔话13——運のいい鉄砲打ち
29/06/2016 Duración: 03minむかしむかし、あるところに、腕のいい鉄砲打ちがいました。 あるとき、鉄砲打ちが山へ出かけるしたくをして、家を出ようとすると、うっかり手が滑ってしまい、大切な鉄砲を石の上に落としてしまいました。 「ああ! 鉄砲の先が曲がってしまった。・・・でもまあ、鉄砲の先が曲がっても、何か取れるだろう」と、そのまま曲がった鉄砲を持って、猟に出かけました。 鉄砲打ちが出かけた山には大きな池があり、その池にはカモがいて、あちこちで羽を休めています。 「ひい、ふう、みい・・・」 数えていくと、全部で十六羽います。 「まあ、これだけいれば、曲がった鉄砲でも一羽ぐらいは取れるだろう」 そう思って、鉄砲打ちは一発撃ちました。ズドーン! すると、その鉄砲の玉はジグザグに飛んでいって、何と全部のカモに当たったあげく、岩に跳ね返って、やぶへ飛び込んでいきました。 「こりゃあ、大漁だ! 曲がった鉄砲のおかげで、大もうけができたわい」 鉄砲打ちは、ジャブジャブと池に入ると、十六羽のカモを残らずつかまえて、岸にあがりました。 すると、ふんどしのあたりが、いやにムズムズします。 「なんだ?」 ふんどしをみると、大きなウナギとナマズが三匹ずつ、中であばれていました。 ついでに、わらぐつの中もムズムズするので脱いでみると、中からカニやドジョウが出てきました。 「何とも、こんな事もあるもんだな。さあ、もう帰るか」 鉄砲打ちが引き上げようとすると、やぶの中で、何かが暴れています。 「何だ?」 見てみると、岩に跳ね返った鉄砲の玉が命中したクマが、苦し紛れに土を引っかいていました。 クマが引っかいて出来た穴には、おいしそうな山イモがのぞいています。 「ほう。ついでに、これも取っていこう」 こうして鉄砲打ちは、山イモと、クマと、カニとドジョウと、ナマズとウナギと、十六羽のカモを背負って、山をおりていきました。おしまい
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坂本真绫欧洲游记——From Every Where 2-6
27/06/2016 Duración: 04min【2日目】-6何よりカルチャーショックだったのは、地下鉄の中まで犬を連れてる人がすごく多いこと。キャリーバッグに入れている人はほとんどいなくて、みんなリードをつけてそのまま歩かせて乗って来る。日本では盲導犬以外見かけない光景なので最初はかなりびっくりした。一度など、私が座っているボックス席の向かいの椅子に毛むくじゃらのモップみたいな犬を連れた女性がやって来たんだけど、そのモップ犬が私の靴の上にドカンと座ったのだ。「えーっ!」と、思わず声に出して言ってしまった。ありえない。私は動物が好きな方だからいいけど、世の中には嫌いな人もいるだろうし、アレルギーの人だって……でも飼い主の女性はまったく気にしないどころか、目を丸くしている私に、「うちの子かわいいでしょ」と言わんばかりにニッコリ笑いかけてきた。犬のほうもこっちを見上げ「お散歩嬉しいですー」みたいなのんきな顔をしてる。なんだか、細かいことを気にしている自分のほうがおかしいのかなという気になってくる。街中や駅のホームで立ってサンドイッチを頬張る人の多さも、私にはお行儀が悪いことに見えて非常識なんだけど、こっちでは当たり前のことみたい。誰も気にする様子はない。所変われば常識も変わる。 メグミさんは、待ち合わせの7時を15分過ぎても約束の場所にやって来なかった。おかしいなあ。電話をかけても繋がらない。はて。道に迷ってるのかな。それとも気が変わっちゃったんだろうか。昨日たった数分間一緒にいただけの彼女、どんな髪型だったっけ、どんな服装だろう、所在なくあたりを見回していたけど、そのうち急に「ま、いいか」という気分になってオペラ座前の石段に腰をおろした。私の周りにはほかにもたくさんの人が誰かを待ちながら、同じように石段に座ってる。相手が来て去って行く人、明らかにイライラしている人、約束があるのかそれとも何も予定がないのかひたすら本を読みふけっている人。それぞれの理由、それぞれの待ち方。 メグミさんは、きっとそのうち来るだろう。もし来なくても、それならそれで仕方ない。変だけど、今はこんなふうに誰かをただ待つという時間がそれだけでなんだかとても、楽しくて、懐かしい、心地のいいものだった。できればメグミさんがもっと遅れてくれたらいいなとすら思った。こんな宙ぶらりんな時間をしばらく味わっていたくて。
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日本の昔话12——節分の鬼
25/06/2016 Duración: 10minむかしむかし、ある山里に、ひとりぐらしのおじいさんがいました。 この山里では今年も豊作で、秋祭りでにぎわっていましたが、だれもおじいさんをさそってくれるものはおりません。 おじいさんは、祭りの踊りの輪にも入らず、遠くから見ているだけでした。 おじいさんのおかみさんは、病気で早くになくなって、ひとり息子も二年前に病気で死んでいました。 おじいさんは、毎日、おかみさんと息子の小さなお墓に、お参りする事だけが楽しみでした。 「かかや、息子や、早くお迎えに来てけろや。極楽(ごくらく→天国)さ、連れてってけろや」 そう言って、いつまでもいつまでも、お墓の前で手を合わせているのでした。 やがて、この山里にも冬が来て、おじいさんの小さな家は、すっぽりと深い雪に埋もれてしまいました。 冬の間じゅう、おじいさんはお墓参りにも出かけられず、じっと家の中に閉じこもっています。 正月が来ても、もちを買うお金もありません。 ただ、冬が過ぎるのを待っているだけでした。 ある晴れた日、さみしさにたえられなくなって、おじいさんは雪にうまりながら、おかみさんと息子に会いに出かけました。 お墓は、すっかり雪にうまっています。 おじいさんは、そのお墓の雪を手で払いのけると。 「さぶかったべえ。おらのこさえた甘酒だ。これ飲んであったまってけろ」 おじいさんは甘酒をそなえて、お墓の前で長いこと話しかけていました。 帰る頃には、もう、日もくれていました。 暗い夜道を歩くおじいさんの耳に、子どもたちの声が聞こえてきます。 「鬼は~、外! 福は~、内!」 「鬼は~、外! 福は~、内!」 おじいさんは、足を止めてあたりを見回しました。 どの家にも明かりがともって、楽しそうな声がします。 「ほう、今夜は節分(せつぶん)じゃったか」 おじいさんは、息子が元気だった頃の節分を思い出しました。 鬼の面をかぶったおじいさんに、息子が豆を投げつけます。 息子に投げつけられた豆の痛さも、今では楽しい思い出です。 おじいさんは家に帰ると、押し入れの中から、古いつづらを出しました。 「おお、あったぞ。むかし息子とまいた節分の豆じゃあ。ああ、それに、これは息子がわしにつくってくれた鬼の面じゃ」 思い出の面をつけたじいさんは、ある事を思いつきました。 「おっかあも、かわいい息子も、もういねえ。ましてや、福の神なんざにゃ、とっくに見はなされて
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坂本真绫欧洲游记——From Every Where 2-5
23/06/2016 Duración: 03min【2日目】-5今日は午後から町の中を特に目的もないままあちこち歩き回った。 観光スポットじゃなくたって、ただ通りを歩いているだけで心が躍る。大好きな映画の中で何度も見た憧れの街がそのままここにあるんだもの。ヒールをコツコツ音たてて歩く美しい女性の後ろを歩いてたら、なんだかまるでスクリーンの向こう側の世界の住人になったみたいで自然と背筋が伸びた。まあ、ウィンドウに映った自分の姿を見ると一気に現実に引き戻されちゃうんだけど。だってすれ違う人たちはみんな背が高くてあか抜けててかっこいいのに、私は眼鏡にジーンズに白すぎる新品のスニーカーのちんちくりん。うわあー、なんという野暮ったさ。いい大人なんだから、もう少しくらい格好つけて来ればよかったかなあ。 東京の複雑な地下鉄に比べたら、パリのメトロは慣れてしまえばとても分かりやすい。1~14号線まで、難しい名前はついてなくて数字だけってところがシンプルで外国人にはありがたい。いちいち料金を確認しなくても市内ならどれだけ乗っても1.6ユーロ。メトロの切符の10枚綴りものをカルネと言う。 でも何の予習もなしにいきなり乗り込んだ昨日は、初めてで新鮮なこともいっぱいあった。たとえば車内アナウンスがまったくないこと。ホームの看板には日本みたいに前後の駅名までは書いていないし、英語表記もない。車内には楽器を演奏しながら座席を回ってくるパフォーマーが次々乗り込んでくるし、そんなことに目を奪われているうちに今自分がどの駅にいるのかすぐ見失ってしまう。それからドアの開閉を乗客が自分で行うということも知らなかった。ボタンをチッと押すタイプもあれば、ガチャンとレバーを引く形のもある。
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日本の昔话11——ネズミ経
21/06/2016 Duración: 04minむかしむかし、ある山の中に、一人のおばあさんが住んでいました。おばあさんは大変仏さまを大事にしていましたので、毎日毎晩、仏だんの前で手を合わせましたが、お経の言葉を知りません。 ある時、一人の坊さんがやって来て言いました。「道に迷って、困っています。どうか一晩、泊めてください」 「ああ、いいですとも」 おばあさんは坊さんを親切にもてなしましたが、ふと気がついていいました。 「お願いです。どうか、お経の言葉を教えてください」ところがこの坊さんはなまけ者で、お経の言葉を知りませんでした。 でも坊さんのくせにお経を知らないともいえないので、仕方なしに仏だんの前に座ると、なんと言おうかと考えました。 すると目の前の壁の穴から、ネズミが一匹顔を出しました。 そこで坊さんは、「♪ネズミが一匹、顔出したあー」と、お経の節をつけて言いました。 すると今度は、二匹のネズミが穴から顔を出したので、「♪今度は二匹、顔出したあー」と、坊さんは言いました。 さて次に何と言おうかなと考えていると、三匹のネズミが穴から顔を出して、こちらを見ています。 そこで坊さんは、「♪次には三匹、顔出したあー」 大きな声で言うと、三匹のネズミはビックリして穴から逃げ出しました。 そこで、「♪それからみーんな、逃げ出したあー」 坊さんはそう言って、チーンと鐘を鳴らして言いました。 「お経は、これでおしまいです。 少し変わったお経ですが、大変ありがたいお経です。 毎日、今のように言えばいいのです」 おばあさんはすっかり喜んで、それから毎朝毎晩、「♪ネズミが一匹、顔出したあー♪今度は二匹、顔出したあー♪次には三匹、顔出したあー♪それからみーんな、逃げ出したあー」と、お経をあげました。 ある晩、三人の泥棒が、こっそりおばあさんの家に忍び込みました。 ちょうど、おばあさんが仏だんの前でお経をあげている時でした。 「あのばあさん、何をしているのかな?」 一人の泥棒が、おばあさんの後ろのしょうじからそっと顔を出すと、「♪ネズミが一匹、顔出したあー」 おばあさんが、大声で言いました。 「あれっ、おれの事を言ってるのかな?」 「何をブツブツ、言ってるんだい?」 もう一人の泥棒が、顔を出すと、「♪今度は二匹、顔出したあー」 おばあさんが、また大きな声で言いました。 「やっぱり、おれたちの事を言ってるみたいだぞ」 「どれどれ」 三人目の